ブログテスト
使い方がよくわかりませんがとりあえず使えるものは使ってみようというテスト。
当方もっぱら技術的お手伝いをしてます。なんか技術的要望とかあれば素人なりにやります。一方あんまり資料収集とかはしません。
トップページの「読めるかな?」のスクリプト書いたりしたのは私です。質問とか要望とか苦情とかは私へどうぞ。
いろは歌
いろは歌はいろは四十七字を一字の重複もなく使つて作られた詩、すなはち手習ひ歌(パングラム)です。七五調の今樣風になつてゐます。
これは涅槃經の偈「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」に基づき佛教思想を詠みこんであります。
作者は不明です。かつては空海(七七四-八五三)が作者だとされてゐました。が、空海の時代にはア行のえとヤ行のえは發音が區別されてゐました。いろは歌には「え」が一度しか出てきません。また、空海のころは七五調の歌も充分發達してゐませんでした。以上のことから、いろは歌が空海の時代のものでないことは確かです。
現存最古のいろは歌は『金光明最勝王經音義』(一〇七九年書寫)に書かれた萬葉假名書きのものです。
以呂波耳本へ止 千利奴流乎和加 餘多連曾津禰那 良牟有爲能於久 耶萬計不己衣天 阿佐伎喩女美之 惠比毛勢須
さて、七字ごとに切つて讀むと「咎なくて死す」となり、無實の罪で捕らへられて死んだ人の無念が込められてゐるといふオカルト話も、江戸時代以降流布されるやうになりました。
同じやうな方法で聖書に暗號の豫言が含まれてゐると主張するのがマイケル・ドロズニン氏です。しかし、いろは歌のやうな短い文でも出てくるのですから、聖書のやうな厚い書物ならばいくらでも「暗號」(それとも暗合といふのが正確でせうか?)が出てくるに決まつてゐますね。ドロズニン氏は自信滿々に「厚ければいいといふならばハーマン・メルヴィルの小説『白鯨』からも同じやうに豫言が見出せるのか」と反論しますが、實際、『白鯨』からも同じやうな方法で「豫言」が發見されてしまひました。
さらにはドロズニン氏の著書『聖書の暗號』から、こんな「暗號」が出てきてしまひ、ドロズニン氏は世界の笑ひ者となつてしまひました: "The code is a …
蘭亭序
蘭亭序は最高の書家と言はれる書聖王羲之の最高傑作と言はれてゐます。ですから、東洋書道の最高傑作と言つてよいでせう。
とはいへ王羲之の書は現存してゐません。字典Wikiでは馮承素による現存最高の臨摸本とされる八柱第三本から文字を收録しました。ウィキメディア・コモンズのパブリックドメイン畫像[1]を利用しました。
蘭亭序は元々王羲之が詩集の序文として醉ひながら書いたとされてゐます。王羲之は醒めてから清書を試みましたが、これよりもよい作品はできなかつたと傳はります。八柱第三本はその訂正の跡まで、生々しく臨摸してゐます。
この作品には「之」の字が二〇回出てきます。そして、それが全て違ふ形で表現し分けられてゐると言はれてゐます。字典Wikiで二〇の「之」の字をお樂しみください。
永和九年歲在癸丑暮春之初會于會稽山陰之蘭亭脩禊事也群賢畢至少長咸集此地有崇山峻領茂林脩竹又有淸流激湍映帶左右引以爲流觴曲水列坐其次雖無絲竹管弦之盛一觴一詠亦足以暢敍幽情是日也天朗氣淸惠風和暢仰觀宇宙之大俯察品類之盛所以遊目騁懷足以極視聽之娛信可樂也夫人之相與俯仰一世或取諸懷抱悟言一室之內或因寄所託放浪形骸之外雖趣舍萬殊靜躁不同當其欣於所遇暫得於己快然自足不知老之將至及其所之旣倦情隨事遷感慨係之矣向之所欣俛仰之閒以爲陳迹猶不能不以之興懷況脩短隨化終期於盡古人云死生亦大矣豈不痛哉每攬昔人興感之由若合一契未嘗不臨文嗟悼不能喩之於懷固知一死生爲虛誕齊彭殤爲妄作後之視今亦由今之視昔悲夫故列敘時人錄其所述雖世殊事異所以興懷其致一也後之攬者亦將有感於斯文